映画監督の安藤桃子さんに、

今回は、「いい夫婦の日」にちなみ

30年以上連れ添う夫婦の

特別なストーリーを

書き下ろしていただきました。

できたてのクッキーを振る舞う妻と

言葉は少なくとも、あたたかい夫。

向き合うごとに共通点が見えてくる。

そんなパートナーへ感謝を贈りませんか。

vol.8 いい夫婦の日 episode 04

「蓋、反対に回してたんじゃない?」 貸してと、節子から瓶を受け取る明。蓋が固いのか、引き出しからスプーンを出して瓶の縁をコツコツと叩いたり、蛇口のお湯であたためたりしている。力一杯ひねる無表情が、赤く上気する。どう?開いた?と聞く節子に返事をせず、瓶をシンク脇に置き、明はダイニングテーブルに戻り座り直す。節子が捻ってみると、やっぱり。ちゃんと蓋は開いていた。「このジャムを穴に入れたら完成よ」

 木製トレイの上には少し大きめの、様々な形をしたクッキーがランダムに置かれている。穴のあいたクッキーに、小さなスプーンでジャムを入れていく節子。明は雑誌に目を通している。「庭に出て、ベンチで一緒にいかがですか?」

 明が返事をする間もなく、トレイとお茶の入った湯呑みを持って、既に節子はガラス引き戸の前に立っていた。手一杯な節子見て、明が鍵を開ける。庭に出ると肌寒さを感じたが、その間にもリビングと庭を往復した節子は明にブランケットを手渡し、ベンチへと誘う。「私、最近ここに座ってお茶をするの」と節子が言い、湯気立つ湯呑みにふぅふぅと、息を数回吹きかけて明の前に置き直した。「どんなふうに焼けたか知りたいから、全部半分にしてもいいかしら?」「まるまる食べたらいいじゃない」

 そう言いながら、少し柔らかいクッキーに慎重に刃を入れていく。「それぞれ味が違うのよ。それにそんないくつも、丸ごと食べられませんよ」

 節子が手の届く所からミントの葉をちぎり、クッキーに添える。「全部同じ形にしたらもっと数が焼けるな」「それじゃあ面白くないわ」 宝珠型のひとつをつまんで、節子が言う。「これ何に見えます?」「玉ねぎか、おっぱい」「王宮の屋根をイメージしたんですよ」「ふうん」「中にお楽しみが入ってますから、パクッと召し上がってくださいな」「うん」「どうぞ」、節子の号令で明は薄くて四角いのを咥えた。節子は球状のものを口に放り込む。

〈デメル〉生クッキー(10個入)4,104円■地下1階 洋菓子売場 ※毎週水・金・日曜日の入荷

「来週またゆみこのところへ行ってきますね」「なんかあったのか?」「何もないけど、気持ちが上がったり下がったりするんでしょうね、お腹も張ってきたって。母になるんですから、いろんな気持ちも出ますね」「器が大きくなる時だな、、、バスか?」

 最後の言葉を聞き取れなかった節子は次のフレーズを待ってみる。「バスで行くのか?」「だめかしら?」「時間がもったいないよ」「好きなのよ、バスで行くの」「楽しなさいよ。夜通しは身体にも良く無い」「あなたと一緒の時は新幹線に乗るんだから、いいでしょう、私一人の時は」「もちろん」

 効率良く行動しなさいと育てられた明には、時間のかかるバス移動を選択する意味がわからない。庭のベンチに並んで座っていると、クッキーを食べるかお茶をすするかしかやることがなく、正面を向いたままの二人の間には、互いに対する想いだけが浮き上がってくる。「どうして、バスがいいんだ?」「安心するのよ」「電車よりバスが安全とは思えないな」「そういうことじゃなくて」

 普段の明なら「どういうことだ?」と即座に聞く代わりに湯呑みに口をつける。体温を感じるほど近くに座っているのに、顔を見ないで会話するのは案外心地いいと思った。「必ず窓際に座るんです。夜行バスですから、高速は真っ暗でしょ?でもその真っ暗なのと、狭いのがいいんですよ」

 ちらり見やると、想像の中で節子はバスに乗っているのだろう、横顔の向こうに流れる夜が見え、明も隣の席に座っているような気持ちになる。「暗くて狭くて、色々な考えが巡ったり、何も考えなかったり、安心で落ち着くの」「僕も昆虫の標本を作っている時は、同じだな」

 顔を見なくても、明には節子の表情が汲み取れる。「ピンで刺すのが、どうも苦手」「狭くて暗い書斎で標本を作ってると、色々な考えが巡ったり、何も考えなかったり、僕も安心して、落ち着く」

 あっ、と声を上げ節子が急に動いたので、明の心臓がドキッとした。「30年以上一緒にいますけど、気が付きましたよ、明さん」

 感情をそのまま表す節子から、熱が発される。「標本ね、30年間、ずっと嫌だったんです」「知ってます」「中身は一緒ね」

 空には太陽に彩られた大きな鱗雲がゆっくり泳いでいる。「バスと標本、形は全然違いますけど」「うん。君の好きを肯定するよ」 節子が湯呑みに口をつける。「おんなじこと、感じてたのねえ」

 その奥があったのね。そのまた奥は、何があるかしらねと、行く先に思いを馳せる船長の眼差しの、節子のスマートフォンが鳴る。いつもは即座にそれを手に取る彼女は数秒、柔らかいものを全身に沁み込ませるように、そのまま遠くを眺めていた。その姿を見つめることで、明も同じものを受け取ることができる。水の底も濁らないような繊細な動きでスマホを確認する節子は、日常の顔をしていない。「ゆみちゃん、明日うちに帰って来るって。喧嘩したみたい」「そうか」

「キムチ鍋で決まりですね」と、冷蔵庫の中身や買い物リスト、布団の準備に節子の思考はフル回転をスタートさせる。「クッキーも半分にしておいて、よかったな」

 節子が宝珠型のクッキーを明の口に入れる。カリッとする中から、甘いミルクが溢れ出す。「おいしい」

 口から胸に注がれたおいしいは全身に広がり、ペパーミントが清らかな風を送る。小さな庭に腰掛ける夫婦は宇宙大の優しさに包まれている。ゆみこにも、ゆみこの旦那にも近い将来の孫にも、この幸を味わわせたいと明は思った。

安藤 桃子 1982年東京都生まれ。高校時代よりイギリスに留学し、ロンドン大学芸術学部を卒業。

Monthly Recommend 似たもの同士のふたり、正反対のふたり、夫婦のカタチは様々だけれど一緒にいたい気持ちは同じはず。「いい夫婦の日」にはふたりで楽しめるギフトはいかがでしょう。

日常のお祝いに焼菓子を。
映画デートをリビングで。
和スウィーツで粋なひととき。
ペアでつながる同じ時間。
香りの共有で深まる絆。
結婚指輪をアップデート。
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